コミュ症&43歳で高齢出産ママの日記*神山ひなた

「人付き合いが苦手なまま、ラクに自分らしく生きる」を人生のテーマに、日々実践中。

「人の名前を呼ぶのが苦手」だった私が、どのようにそれを克服したか

理解してもらえるかどうか、分からないですが…
「人の名前を呼ぶ」ことが、私はずっと苦手でした。
たぶん、10年ぐらい前まで苦手だったと思います。

例えば、一緒に仕事している方に何か聞きたいことがあっても
その方の名前を呼べなかったのです。
「あのー」とか「すみません」と、声をかけていました。

また、美容室に行ったときも、いつも同じ美容師さんを指名しているのに
その美容師さんの名前を呼ぶことができなくて。
会話はそれなりに弾んでいるのに、どこかよそよそしさが漂っているような
気がしていました。

私がなぜ、人の名前を呼べなかったかというと……

「私ごときが相手の名前を呼ぶなんて、馴れ馴れしくて、すごく失礼だ。
相手からしたら、絶対に迷惑なはずだ」

という思い込みがあったからです。

ものすごくおかしくないですか?この思い込み。
自己肯定感、低すぎ。

なんでこうなっちゃったのでしょう。
私自身が覚えていないぐらい、幼い頃に
そういう思い込みをしてしまうような出来事があったのでしょうか。。
もしかしたら、ヒプノセラピーなどを受ければ
理由を探ることができるのでしょうか。

ただ、今は、それほど困ってはいないので
あえて理由を探そうとは思っていません。

その思い込み自体、完全に手放せたわけではないのですが
「私が相手の名前を呼んでも、相手は迷惑には思っていない」
ということが分かったので、怖くなくなったのです。

今はどんな場面でも、できるだけ相手の名前を呼ぶようにしています。

冷静に考えてみると、長いお付き合いをする(または、既にしている)相手なら
「◯◯さん」と、名前で呼びあうほうが自然ではないでしょうか。
ましてや、「あのー」「すみません」と呼び続けるなんて、
そちらのほうがかえって失礼かも。
そのことすら、過去の私はわかっていませんでした。

もし万が一、私が相手の名前を呼んで
相手が怒ったり、あからさまに不快な表情をしたとしても
それは相手の問題であって、おそらく私のせいではありません。
(まず、そういうこと自体起こらないでしょうし)

知らず知らずのうちに、自分を縛りつけて生きにくくしている思い込み。
私には、まだまだあります。

でも、その思い込みを完全に断とうと頑張らなくても
「そう思っている自分を受け入れつつ、
『それが思い込みである』という証拠をつかむために挑戦する」
というやり方もあります。

私がほかにも抱えている思い込み、そして
それにどのように向き合って過ごしているか。
折を見て、また綴っていきたいと思います。