コミュ症&43歳で高齢出産ママの日記*神山ひなた

「人付き合いが苦手なまま、ラクに自分らしく生きる」を人生のテーマに、日々実践中。

あの日から11年

東日本大震災から11年。

「日本が壊れてしまうかも、、、どうしよう」
震災当時、千葉で一人暮らしをしていた私は、怯えていました。

私は子どもの頃、家でひとりで留守番をしていた際に
大きな地震がきた経験があります。
ガタガタと、不気味な音を立てて横に揺れる家。
ざぶんざぶんと波打つ水槽から、バシャバシャと床に溢れていく水。
「金魚も床に落ちちゃったら、死んじゃうよ。どうしよう」
机の下に隠れながら、泣きました。

その経験が影響しているのか、私は
地震がくると、恐怖で動けなくなる」
という悩みを、長年抱えていました。

東日本大震災の本震後、関東でも大きめの余震が続いていたので
一人暮らしのアパートに戻るのが怖くなりました。
原発に関するニュースにも疲弊し、不安定になっていました。

また、
「私は被災したわけではないのに、こんなに精神的に参ってしまって
被災地の方たちに申し訳ない」
という、自責の念にも駆られていました。

そんな私に、交際中の彼(現在の夫。当時は都内で一人暮らし)が、こう言ってくれました。
「しばらく、うちにおいで。俺の家から仕事行けばええやん」

彼が蒲田駅まで迎えに来てくれたときの、駅構内の人の流れや空気。
そして、私の手をぎゅっと握ってくれたあの安心感を
今もよく覚えています。

あれから11年経った、2022年3月11日の午後2時46分。

私は、保育園にいる娘を迎えに行くため、車を運転していました。
ちょうど信号が赤になったので、数秒だけですが黙祷しました。
区の防災無線から、サイレンが鳴り響いていました。

当時のニュース映像や、自分の中にこびりついている記憶が
まぶたの裏に次々と浮かび上がってきて、涙があふれました。

地震がくると、恐怖で動けなくなる」
という悩みは、気づいたら克服していました。

今は地震がくると「娘を守らなきゃ!」と、勝手に身体が動きます。

昨年の10月、関東で大きな地震が起こった際も
台所にいた私は、すぐそばの寝室で寝ていた娘に飛んでいき
覆いかぶさりました。

その2秒くらい後に、入浴中だった夫が
「大丈夫か!?」
と、びしょびしょの身体のまま浴室から飛び出してきて
娘に覆いかぶさっていた私の上に覆いかぶさりました。
(もちろん、夫はすっぽんぽんでした、、、)

あぁ、親の本能ってこういうことなのかな。
そう思いました。

そして、
「私はずっとずーっと、彼に守ってもらい続けているんだな。
ありがたいなぁ」
とも感じました。

自然災害は、避けて通ることができません。

モノ(食料品や水、生活用品、簡易トイレなど)の備蓄と
心を整え、いつもできるだけ冷静に動くこと。

大事な人と自分自身を守るために、常に意識していたいです。