コミュ症&43歳で高齢出産ママの日記*神山ひなた

「人付き合いが苦手なまま、ラクに自分らしく生きる」を人生のテーマに、日々実践中。

10年前の3月11日

10年前の3月11日、
私は都内で仕事中でした。

 

大きな揺れが来たとき、すぐ思ったのは
座っている席の真後ろが一面ガラス張りなので
「逃げなきゃ!」
ということ。

 

課のみんなで急いで外に出たら、同じように
あちこちのビルから避難してきた人たちで
路上はごった返していました。

 

ゆらーんゆらーんと左右にしなる、不気味な高層ビル群。
「たいへんなことが起きてしまった、、、」
そう思いました。

 

気づいたら、知らない女性と手を取り合っていました。
「あっ、すみません」
ちょっとホッとしたというか、気が抜けて
お互いに笑ったことを覚えています。

 

でもそれから程なくして、
東北での津波原発事故などの情報が入ってきました。
Twitterを見ると、
「今、屋根の上に避難しています。助けて」
という、家が津波にのまれた人たちの投稿が
たくさんありました。

 

なんという非常事態なんだろう。
ただ怖がっていて、何もできない自分が
もどかしく感じました。

 

私は以前から、1人でいるときに地震が来ると
パニックで息ができなくなる症状がありました。
たぶん、小学校1年生のときに経験した
日本海中部地震の影響だと思います。

 

本震が起こったときは、小学校にいて
校庭で運動会の練習中でした。
校舎のガラスが割れて散乱し、中に入れないので
外で給食を食べました。

 

それから約1か月後、家に1人でいたときに
大きな余震が来ました。

大きな水槽の水が、じゃぶじゃぶとあふれました。
「金魚が死んじゃうよ、どうしよう」
机の下に隠れながら、泣いていたことを覚えています。

 

大人になって一人暮らししていたときも、
地震にはかなり敏感でした。
なので、3.11の余震にもいちいちビクビクしました。
原発事故の恐ろしさにも、どう向き合っていいかわからず
ずっと疲弊していました。

 

あれから10年。
地震に慣れたわけではありませんが、
昔ほどは動じなくなりました。
過呼吸になることもありません。


我が子という、守るべき存在が
そうさせてくれているのだと思います。

 

後悔しない生き方をしていこう。
自分にできることをやっていこう。

 

そんな思いで、昨日は黙祷しました。